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社史

明治26年

まるや河住商店 正月売り出しの広告

大正15年

河住忠夫により現在の有限会社かねたの前身、
カネタ市場(新品・中古を取り扱い)創業
カネタ商店創業

昭和5年ごろ

まるや呉服店 店の裏庭にて

まるや呉服店はかねた商店のルーツ
山梨県鰍沢町で呉服商、量衡売捌所を営みながら富士川の舟運業もおこなっておりました。当時の鰍沢は山梨県内では甲府に次ぐ街であり、山梨県内の流通の玄関口として大いに栄えておりました。
「丸にヤの字の帆をかけて〜♪」という「まるや節」を歌う船頭さんたちの歌声が富士川に響いていたそうです。

上の写真で最左で座っているのが23代目河住忠右衛門
(当店の店名はここに由来しています)
最右に立っているのが かねた創業者 河住忠夫

その後、まるや呉服店は世界恐慌のあおりをうけ残念ながら廃業してしまいましたが六男、河住忠夫は一人浜松の地で独立開業し今に至っています。

昭和27年

有限会社かねた 設立

昭和35年ごろ

高級京呉服卸商 かねた社屋

傾いてつぶれそうな建物ですが扱い商品は最高級の京呉服。
当社の左隣は浜松銘菓『夜のお菓子』で有名なうなぎパイの春華堂さんの本社工場でした。

ガチャマンといわれた好景気のころのかねた店内

いつも店内や倉庫には商品が山済み。右から左に商品は売れていき商品があればあるだけ売れた羨ましい時代でした。まだまだ日常生活の中にキモノがあった時代です。
(ガチャマン=ガチャンと織機が動くたびに万札が入るの例え)

当時のスタッフ

写真中央座っているのが河住忠夫前社長
最左に座っているのが現社長 河住圭吾 デッチどんのような人達が今現在、当社の番頭さんたちです。

半纏には「カネタ市場」とかいてあります。
当時は衣類にも魚市場と同じような市場がありとても活気がありました。

当社の市は「サンパチかい」と呼ばれ毎月三と八のつく日に開かれました。
最盛期には一度のカイで大型トラック何台分もの商いがありました。

また、振袖の展示会などは会場にお客様が入りきれず入場制限をすることもありました。

昭和56年

カイといわゆるオークションの風景

これは皆さん初めてみる光景ではないでしょうか
昭和56年の『カイ』 いわゆるオークションの風景です。
ハチマキのオッちゃんがセリ師で徐々に値段をせり上げます。

大量に商品を売りにくる人は見た目の良いものを少しだけ見本程度に、板場に乗せます。
そのときの落札価格は少し安めになるようせり師と相談します。見た目の良さに比べ、商品価格の安さ飛びついたお客はすかさず『オール!! ペロ!!』と声をあげます。オール/ペロとは全部買うよ!の意味です。
すると奥から次々とダンボールが来るは来るは。。。
ペロしたものの、その量に驚いた客は『数に驚いてたら米粒の飯はくえん!』と悔し紛れにいったそうです。
会場はどっと笑いが沸き起こったそうです。
どんなに安くても一個一個慎重に吟味して買う時代の今となっては考えられない話ですよね。

本場大島なんかも驚くような値段(安くて)で右から左へ飛ぶように売れました。

中央で手を開いているのがかねた市場『カイ』の会主です。
会主はころあいを見計らい売却先を決定します。

そんな、かねた市場も写真の時代の流れとともに昭和56年7月23日を最後に幕を閉じました。

現在に至る